誕生
太陽系第3惑星地球
その誕生は約46億年前と言われている。
現在の生命体が形成される中で、初めは単細胞生物や植物、
次第に構造の複雑な生物が誕生し現在に至るわけであるが、
全生物に共通することとして、誕生の瞬間は感動的であり、大変印象深いものである。
それは、我々人類も例外ではない。
テレビでは、その瞬間を放送する時、映画のメインシーンのごとくバックミュージックを演奏し我々に少しの時間ではあるが感動をさせてくれる。
そんな感動的な誕生の瞬間は誰にでもある。
もちろんこの私にも。
しかし、骨折尊が人と同じく普通に感動的に産まれたと思っている方、大きな間違いです。
それでは、私の誕生までを紹介しよう。
1981(昭和56)年7月7日
私の母は家から約20分くらいのところにある、私の田舎では大きい病院へと検診に向かっていた。
目的は無論「出産前定期検診」である。
予定日は2週間後の7月21日。
母は今日の検診を早めに済ませ、
家の掃除や洗濯、買い物等帰ってからやることがいっぱいで
はっきり言って
2週間後に控えた息子の出産はその時どうでもよかったのであった。
そんな母に、医師から衝撃的な言葉が告げられる。
医師 「もう産まれますよ!!このまま病院に居てください。」
母 「えっ!!?」
今日産まれるとは夢にも思っていなかった母は、当然出産時に必要な
着替えやタオル、私が着る服やおむつ等
絶対に必要な物を持ってきているはずがなく、
混乱した母は、今から自分の子供が産まれるという一大事に、
母 「すみません、一回車で家に戻って出産セット持ってきます!!」
と我が子が産まれる寸前に車を運転すると、医師の目の前でどうどうと宣言しだしたのだ!
当然医師が良いと許可するわけもなく、
母は、父に電話をする。
トゥルルル、トゥルルル、トゥルル・・ガチャ!
父 「はい、もしもし!?」
母 「あっ!?お父さん?」
父 「おう!どうした?」
母 「実はね、今病院に居るんだけど、」
父 「はいはい」
母 「今から産まれるから早く来て」
父 「お〜、産まれるのか〜?・・・えっ??産まれる????」
父が驚くのも無理はない。
前にも書いたが、予定日は2週間後。
産まれるはずのない子供が今産まれるという。
そんなわけで、急遽父が出産セットをもって来ることに、
母に言われて持ってくる物をメモし、
急いで病院に駆け付けた。
いよいよ、母は分べん室に入り、出産の時を待つ。
ドラマのワンシーンを想像して頂ければ分かると思うが、病院の長く、なぜか薄暗い廊下で待つ父と姉。
母が私を出産しようと必死に頑張っている中、
父と姉はその長く、なぜか薄暗い廊下で、スポロンを飲んでいたのだ!
出産前の分べん室に忙しそうに行き来する看護婦さん、
姉は当時4歳、はっきり行って忙しそうに行き来する看護婦さんにとって
廊下をうろうろするしかない姉は邪魔であろう。
それを見かねた看護婦さんが、ついに言ったのである。
「すみません。この子何とかしてください」
って「何とかしてください」何すればいいんでしょう?
そしてようやくこの世に命を受け、無事出産した私を看護婦さんが抱き上げ父親に見せるシーン。
出産シーンのあるドラマでは、必ずあるこのシーン。このシーンは感動的であり、
・ 子供が無事であること
・ 母胎が無事であること
・ 新しい家族
・ 守るべき命が出来た父母の責任
・ 新しい兄弟が出来た喜び
家族全員がそれぞれの立場でそれぞれの考えを持つであろう、このシーン。
しかし、この感動的なシーンを
私の姉はまったく覚えていないのである。
人は言う。
「4歳の女の子にそんな記憶はない」
しかし、私は思う。
全く覚えていないのなら、仕方ないと思うが、
私の姉は、
病院に行き、長くなぜか薄暗い廊下で「スポロン」を飲んだ記憶はあるが、
私が看護婦さんに抱かれ、姉の目の前に見せられた記憶はないのである。
皆さんに問いたい。
どちらかというと、覚えているべき事が逆なように感じるのはこの私だけだろうか??